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新しくピアスを製作したい…
良いデザインが降ってきた…
身体に風穴を増やしたい…
冬用にコートを一枚買いたい…
不必要なモノを全て捨て去りたい…
部屋の模様替えをしたい…
回転寿司、食べたい…
常に研ぎ澄まされた状態で在りたい…
向上したモノを更に向上させ続けたい…
その作業の繰り返しで全く新しい自分が形成されていく…
潜在意識の中で他人はそれに気付き僅かな影響を受ける…
行動が変化する
それが共存の利点であり、逆に和平の盲点でもある
私達は未来の自分自身に対して、献身的な活動を怠らない
私達は私達が成りたいように幸福に成ったり不幸に成ったり出来る
…少し時間が出来た
実状を変化させるに不可欠かつ好都合な時間が
確実に習慣が変化するだろう…
さも全く変化していないように自然に変化するだろう…
「相変わらずだね。」と言うのはそういう事かもしれない…
どういう事なのか…
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私が思うに、
日本人の8割はアボカドの事をアボガドと呼んでいる
本当はアボカドだと知っていながら皆がそう呼んでいるからと言う理由でアボガドと呼んでいる
この変な集団意識…
私は心の底から大嫌いだ
でも、
アボカドと呼ぶのが正しい訳でもなかったりする
そもそもあの深緑の実を人間が勝手にアボカドと名付けただけで、あの深緑の実は本当は何でもない唯の深緑の実なのだ
いや、
深緑の実ですらない
何でもない
むしろ存在していないのと同じだ
…マヨネーズと混ぜると美味しい
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基本的に、食べ物は「毒」である
嫌いなモノは食べてはいけない
好きなモノも食べない方が良い
好きでも嫌いでもないモノを食べるのが
恐らく一番体に適していると思うのだ
自分を曲げないという事は固執するという事だ
自分を曲げるという事は馴れ合うという事だ
どちらかしか無いようだが
実は誰もが「曲げない」でも「曲げる」でも無い精神バランス保っている
変化は一瞬
その一瞬で全てが「否定」に変わり
その瞬間に全てが生まれ変わる
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何かモノを創造した時、
私には幾つもの「穴」が見えてしまう。
それが嫌で、悔しくて、また新しいモノを創る。
でもまた「穴」が…
繰り返す度に、自分自身も進化するから次は質の高い、新たな「穴」が見えてくる。
要するに、
「穴」が塞がる事など永劫無いのだ。
だが、創造力というモノもその同じ「穴」から湧き出ている事を忘れない方が良い。
無理に穴を塞ごうとすると穴自体がそれを嫌がり、「穴」を完全に閉じてしまうのだ。
そうなると、もうお終いだ…
本当のお終い…
そういえば…
「穴」という漢字には、ウ冠で蓋がしてある。
その蓋をあけると八。
一度落ちたら二度と戻って来れないかの如き、末広がり。
とにかく、「穴」には気をつけた方が良い。
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「忙しい」のは仕事が遅い事に対する言い訳
とりあえず「すみません…」とでも言っておけば良い
「時間が無い」のも仕事が遅い事に対する言い訳
そして社会に拘束されているという「被害妄想」が吐き出した言い訳
「やりたい事が無い」のは夢が無い事に対する言い訳
もしくは夢を諦めた事への言い訳
または「死にたくない」事への言い訳
「暇」なのは
自分が今何をしているかすら解らない事への言い訳
「生きていますか?」
死んでたって構わない
「生存」は「死」の盲点に存在する
「愛している」のは愛とは何か?
さっぱり解らない事への言い訳だし
「嫌いな人間」も「眠れない」も「苛々する」も「許せない」も…
「脱け出せない」も全部
…言い訳
…言い訳
…言い訳
…言い訳
この喉をつん裂いて頂いても結構なんですよ
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幸福とはなんだろうか…?
幸福とは「妄想」だ
だって現実を司る五感は幸福感なんて感じない
感じるのは頭の中、即ち想像力
そう、想像力こそが幸福のストーリーテラーだったのである、そう思う
頭の中は誰しも非現実的かつ無秩序でしょう?
そこに幸福がある
現実世界に幸福はない、愛なんかと同じで
現実と脳内は別物
でも、脳内は現実の一部だったりする
更に言えば、現実も脳内の一部だったりする
過去を振り返って「昔はよかった…」なんて言うのも妄想
その時の現実じゃなく、その時の事を思い出して、「どうやら楽しそうだ、楽しかったに違いない」と自分で想像しているだけ
更にその時の記憶も、もはや現実を離れた脳内での想像に過ぎないので、より疑わしい
脳内(自己)には忠実で現実(他人)には鈍感
まるでジャイアンだ、私達は
でもいいか、どうでも。
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「時間」とか「過去」とかは人間が創った妄想に過ぎないのさ
ほら、時間なんざ何処にも無いでしょう?
星の回転は真実かい?
過去も何処にも無いでしょう?
だって過去は現在と同一人物
本当は時間は進んでいるわけでも、ましてやずーっと止まっているわけでもない
存在しない。
時間という幻想は人間のロマンティシズムが創り上げたある種の「永遠」である
…カオス。
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